川について −3−

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     穂村弘の『整形前夜』を読んでいて、不思議な本に出会った。長新太の『ゴムあたまポンたろう』だ。もしかしたらすでに有名なのかもしれないが、この言葉を見て、しばらく笑いをこらえるのに必死だった。今度誰かにあだ名をつけるなら、これを使おう。

     「おいっ! ゴムあたまポンたろう!」
     「何ですかそれ?」
     「今日からお前のあだ名だよ。」
     「いやいや、適当すぎますよ。」
     「はー? 完璧だろ。ゴムアタマポンタロウだぞ、ごむ頭ぽん太郎。」
     「いや。なんか頭悪そうですし……。」

     それで実際にはどんな本なのかと思って調べたところ、童心社という出版社から刊行されていることがわかった。童の心で「憧れ」だ、うんうん、と妙に納得してしまって、それから本屋へ足がのびていない。

     立春が過ぎて1週間、今日は私立高校の合格発表。まだまだ寒いとは言っても、だんだん春が近づいてきている。ふだん歩くところにも梅の花がずいぶんと咲いている。「ああ春だなあ」と思いながら、肩をすくめて歩く、なんとも不思議な季節だと思う。
     日頃の運動不足をどうにかせねばと思って、ときどき近所の川沿いを歩く。家の近くに名柄川という川があって、河口はマリノアシティの側を通っている。それを河口から上流へ向かって歩くのだが、これがなかなか面白い。
     河口からしばらくは、両岸にびっしり舟が並んでいる。鴨の曳く水脈が朝日にぎらぎら光っていたり、川鵜が獲物めがけてぐいぐい潜っていったり、唐突にボラが跳ねては鈍い音をたてて川へ落ちたり、眺めているとなかなか楽しい。
     川の色は、日や時間帯や天候によって様々だが、春のおだやかな日の、みどりの川が結構好きだったりする。長柄川は残念ながらきれいな川とは呼べないが、それでもなんとなく落ち着いた気持ちになってくる。「ゴムあたまポンたろう」を思い出してにやにやしてしまいそうだ。

    ・母が作り我れが食べにし草餅のくさいろ帯びて春の河ゆく
         高野公彦『雨月』

     幼い頃、祖母の家に行くと、きまって蓬餅を作ってくれた。それがもうおいしくて、帰りのバスで食べるようにと持たせてくれるのだが、それを食べたくて祖母の家まで行っていたのではないかと思うほどだ。祖母の家まではバスと電車を乗り継いで4時間くらいかかるが、知らない街へ行くことも、ふだんは乗らないバスや電車に乗ることも、楽しみだった。
     子どもの頃というのは、もちろん周りのものに対する恐れもあるが、それでも何かとわくわくしていたように思う。新しいことや大人のやることに、目をきらきらさせていたんだなあ、と。
     掲出歌では、「くさいろを帯び」た「春の河」を歩きながら母の作ってくれた草餅を思い出している。おそらく母はもう亡くなっているのだろうが、それを食べていたあの頃が思われて、何だか温かい気持ちになったのかもしれない。
     春は別れと出会いの季節でもある。ぐちゃぐちゃといろんな思いが綯い交ぜになって、もやもやすることもあろう。憧れは童の心、ときどき初心を思い返しながら区切りの春を過したい。それでも何だか心が晴れないときは、おだやかな春の川辺を散歩しよう。「ゴムあたまポンたろう」を思い出して、一人にやにやするのも悪くない。

    (つづく・数学科 山下翔)

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