川について −2−

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     文明は大河のほとりにおこると言われている。ギリシャの歴史家ヘロドトスの言葉に「エジプトはナイルの賜物(たまもの)」があるが、中学校で歴史を学んだ人は、世界四大文明といって、

     エジプト文明 ― ナイル河
     メソポタミア文明 ― チグリス・ユーフラテス河
     インダス文明 ― ガンジス河
     黄河文明 ― 黄河

    という風な対応を覚えたと思う。これら四大文明は、北緯20度から北緯30度あたりの大河の流域でおこったものである。大河の洪水によって肥沃な土壌がもたらされ、また、大河を水の供給源として、流域で農耕や牧畜が発達した。このことが文明の大きな成因と言われている。そこから支配者が生まれ、国家の誕生につながっていくわけだが、ここでは立ち入らず、河の話を続けていこうと思う。
     昨年の短歌研究新人賞受賞作に、次のような歌がある。

    ・四大文明いづれも河に生れしこと 冷水器のペダルをゆるく踏む
        山木礼子『短歌研究(2013.9)「目覚めればあしたは」』

     博物館を訪れた場面を詠んだ連作のなかの1首である。
     四大文明が大河の流域に生まれたことを感じながら、その水がいま目の前にあって、それを今度は飲もうとしている。文明をつくるというスケールの大きさ、自分の喉を潤すというスケールの小ささが「水」という1つのものに混在している不思議を感じつつ、しかしそれを反芻しているのだ。時に呑まれ、時に飲む。あるいは古代と今。同じ水に関する、いくつかの対比がある。
     一方でそこには、生を支えるものとしての「水」が共通に浮かんでくる。次は高校生の作品、宮崎県で行われた、第3回「牧水・短歌甲子園」から。

    ・町を飲み家を飲み込み人を飲みコップにおさまり今日は飲まれる
        甲斐樹『朝日新聞(2013.9.3)朝刊/短歌時評』

     初見、すぐに津波を連想したが、それに限らず水害をもたらす水の恐ろしさ。その水を飲むことで今日を生きていることの不思議な関係を思う。
     自然はときに猛威をふるい、大きな、そして深い爪跡を残す。身近な存在であるがゆえの怖さであろう。しかしその自然(ここでは特に河を見たが)との関わりの中で、人間は生命を維持し、文化を発展させ、日々の生活を営み、歴史をつくってきた、という側面がある。

     近くの川を散歩しながら、時々は、四大文明くらい大きなことを目いっぱい想像してみるのもいいかもしれない。ただし、足元には気をつけて。

    (つづく・数学科 山下翔) 

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