川について −1−

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     ゆく河の流れは、絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある人と栖と、またかくのごとし。―という書き出しで始まる随筆がある。鴨長明の『方丈記』である。古典には詳しくないので、書き出しを知っているというくらいであるが、当面は、この<川>について考えていこうと思う。
     川は川としてそこに在るように思えるが、そこを流れている水は絶えず変わっている。目に見えているのはあくまで表面の流れであって、その中の水の動きまではわからない。表面の流れでさえも、見るたびにその様相は異なる。川の表面のことを川面というが、それもまた、様々な表情を見せる。

     長い時間の中で見れば、川そのものも変形をしている。小学生のとき、理科の時間に水の流れを観察する実験をやった。カーブの外側では砂が削れていき、内側では砂が堆積してゆく。外側では川の流れが速く、内側では遅くなる。横道にそれるが、小学校低学年の時に川で溺れたことがある。この川の流れの仕組みを知らずに、まんまと引きずりこまれてしまったのだ。たまたま近くにいた人が助けてくれたので良かったが、相当驚いたことが思い出される。
     中学生になると、社会の時間に扇状地や三角州を習うだろう。高校の地理では、三日月湖、氾濫原、自然堤防、後背湿地などといった用語が出てくる。いずれも水の流れがつくる地形である。雨が降ったときに、河道からあふれた水が浸水するところを氾濫原という。扇状地より下流になると、勾配がゆるやかになるため、川は蛇行しやすくなり、洪水などによって河道がかわることもあって、三日月湖として旧河道が取り残されるのだ。

     俵万智に「ゆく河の流れを何にたとえてもたとえきれない水底(みなそこ)の石」という短歌がある。第一歌集『サラダ記念日』に収められている。下流の石は、川の流れにもまれて丸みを帯びる。川の底では流れが違うが、そこから「流行とは川の表面の流れのようなものだ」という人もある。宮沢賢治の『やまなし』も川が舞台の作品だ。今年引退を表明した宮崎駿監督の作品に『千と千尋の神隠し』があるが、ここには川の神様が登場する。
     美空ひばりの歌に『川の流れのように』があるが、それについて、かつて「そうよね、人生って川の流れみたいよね。細い川があったり、広い川があったり、曲がりくねっていたり、真っすぐだったり、流れが遅かったり、速かったり。でも、最後には、結局みんな同じ海に繋がっているのよね。」と言っている。これは『文藝春秋(2013.1)』に見ることができる。
     冒頭の鴨長明もそうだが、川の流れやいろいろな様相が人生や人間の行動にたとえられてきた。川のこと、それにまつわることには考えさせられること、感じることがたくさんあるだろう。それをゆっくり探ってゆきたい。

    (つづく・数学科 山下翔)

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