ひらめくということについて −27−

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     ここまで、ひらめくということについて考えてきた。もう少し具体的に言えば、<ひらめく>とはどういうことか、<ひらめく>ためにはどうすればいいかの2点について主に話を進めてきた。
    <ひらめく>に似た言葉に<思いつく>というものがあるが、それとの比較によって、<ひらめく>とは<“突発的に”アイディアを思いつく>こととした。これを前提に、どうやったら<ひらめく>ことができるか、ということを考えてきたが、その中で、次のような技術が必要ではないか、ということになった。

    (1)あーだこーだ考える技術
    (2)問いをたてる技術
    (3)物事を俯瞰する技術
    (4)抽象化の技術
    (5)リラックスした状態をつくる技術
    (6)新しい概念を取りいれる技術
    (7)具体的にやってみる技術

    まずは、悪あがきのようでもあるが、ともかくあーだこーだ考えてみる。よくわからないものに向かって、じっとにらんでいるだけでは何も解決しない。そこで、とにかく手を出してみるのだ。自分のできるところから具体的にやってみる。手を動かしながら核心を掴もうと探っていくのだ。
    ここでは「自分のできる方法で、実際に手を動かしながら」が肝心である。例えば友達のことをよくわかろうと思うと、直接その友達あれこれ尋ねようと思うかもしれない。しかし、それでは友達が答えてくれないとおしまいである。反応をうかがうくらいはできるだろうが、それ以上のことはわからない。そういうとき、その友達と他の人の関係を見てやるとよいかもしれない。「朱に交われば赤くなる」「類は友を呼ぶ」ということわざにもあるが、似たようなタイプの人が集まっている可能性はある。それを見ていれば、今度は似ていないタイプの人も見えてくるだろう。それで別の人にアプローチをかけてみて、……という風にやりようはいくらでもある。話がそれたが、できる範囲で、ともかくやってみる、ということがまず大事なのであった。

    そのぐちゃぐちゃした中から、それらを整理してみたり、別の視点から眺めなおしたりして、ぐちゃぐちゃしたものの輪郭をはっきりさせていく。そうしてその核心には何があるのか、どういう仮説が考えられるか、という風に問いを立てていく。よく「良い問いは、問いの形になった時点でもうほぼ解けている。」と言われるが、いかに問いを立てるかによって、解決への糸口が見つかるかどうかが決まってくる。その糸口を刺激することで、するすると問題が解けていくとき、それを<ひらめき>と呼ぶのであった。

    さて、その糸口をどう刺激してやるか、ということが問題になる。そのためにはリラックスした状態が必要なのであった。ぐちゃぐちゃになった状態が落ち着くまで、しばらく放置しておくのだ。考えを熟成させる、発酵させる、というような意味もあるが、むしろある種の緊張感から開放されたときに生まれる落差によって電流が走る、くらいのニュアンスだと思ったほうがいいだろう。
    しかしこれでは単に<ひらめく>のを待っているだけではないかと言われるだろう。何の解決にもなっていないぞ、と。この点、もう少し考えなくてはならない。それから、そもそも<ひらめく>ことが必要なのか、という問題もある。<ひらめく>ことで得られるものをそうでない方法によって手にすることができるならば、それもより簡単によりはやく得られるのならば、そもそも<ひらめく>必要なんてないのである。

    今後考えるべきこととして、
    (1) <ひらめき>の瞬間−実際にどうすればひらめくのか
    (2) <ひらめき>の効用−ひらめくとどんな良い事があるのか
    の2点を挙げてこのシリーズを一旦終わりにしたい。メリークリスマス!

    (おわり・数学科 山下翔)

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      皆様こんにちは。英語科の「な」です。

      突然ですが、あなたは「合っているのに、間違っている」という経験がありますか?

      と、突然尋ねられても、一体何のことかわからないかもしれませんね。

      私自身の「合っているのに、間違っている」の実体験は、例えば次のようなものがあります。

      ・計算過程はすべて合っているにも関わらず、「6+7=15」のように単純計算を間違え、誤答を導いてしまう。

      ・計算結果は合っているのに、解答欄に転記するときに何故か書き間違えたり、単位をつけ忘れたりした。

      ・英文の最初の文字をうっかり大文字にし忘れたり、最後の .(ピリオド)を書き忘れたりした。

      ・「答えをア〜エから選べ」という指示にも関わらず、解答欄に「2」とか「オーストラリア」とか、堂々と書いた。

      お分かりでしょうか。そう、テストの大敵「ケアレスミス」です。

      最初の3つは、ケアレスミスの王道(?)ですが、最後の「オーストラリア」なんて、「解答欄の狭さに、なぜ違和感を覚えなかったのか?」と当時の自分に問いただしてみたいものです。

      自分の場合、ケアレスミスの多さのピークは中学生の前半でした。ケアレスミスが原因で満点を逃した小テスト・定期テストは数知れず。

      しかし、中学生の後半以降、ケアレスミスの数はだんだん減っていきました。それは、減らす努力をしたからです。

      度々ケアレスミスを繰り返す自分のアホさ加減に呆れ、「もうこんな悔しい思いをしたくない!」と(多分)決意した私は、ケアレスミスを減らすために、次のことを心がけました。

      ・日頃の勉強で自己採点をする時、ケアレスミスに対して「△」でなく「×」をつける。

      ・自分のミスのパターンを分類し、テスト時の「見直しポイント」をリスト化した。

      ・自分が犯したケアレスミスに対して、「まあちょっとしたミスだし、次は大丈夫だろう」と軽々しく扱わない。

      要するに、〈ミスに厳しく!〉と〈有効な対策を!〉といったところでしょうか。

      人間誰だってミスはする。だから「ミスは起こるものだ」と考え、ミスを見逃さないための体制を整えることが必要です。

      そして、厳しくするのは「ミスをする自分」ではなく、「ミスを見逃してしまった自分のチェック体制」に対してです。

      ケアレスミス癖は「いつか自然に直るもの」ではありません。

      ケアレスミスに悩んでいる方は、まず「直そう!」と思い、具体的な対策をとりましょう。そうすれば、必ず状況は改善していきますよ。


      ひらめくということについて −26−

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        <具体的にやってみること>について話をしていた。
        (1)<具体的にやってみること>ができるレベルまで戻る必要がある
        (2)戻ってゆくと、どんどん根本的なところへいって、具体性が失われてゆく
        (3)どういう風に具体的にやってみればいいか質問することが大事
        という風に、3つの性質を挙げていたが、少し路線を変えて、もう1つ別の性質を考えていこうと思う。性質というよりも、目的意識と言った方がいいかもしれないが、<具体的にやってみる>ということは、
        (4)普段やっていることから性質や構造だけを抜き取るためにやる
        ということだ。抽象化されたものをわかろうと思えば、1つには具体を探ってみるという方法がある、ということである。

        例えば次のような問題がある。
        [問題] 50 L入る容器に毎分x Lの割合で水を入れていくと、y分でいっぱいになる。このときyをxの式で表せ。
        文字式で関係を表すことに慣れていないうちはこれがなかなか難しい。「割合」という言葉が入っているのも難しくしている原因ではあるが、そもそもピンときていないことによる。
        こういう場合は、xとなっているところを<具体的な>数字にしてみるとよい。例えばxを10とすると、1分で10 L入るわけだから
        50÷10=5
        より、5分でいっぱいになることがわかる。これだけではまだ<性質>とか<構造>のようなものは見えてこないから、他の数字で試してみる。xを5とすると、
        50÷5=10
        より、10分でいっぱいになることがわかる。例えばxを2とすると、
        50÷2=25
        より、25分でいっぱいになることがわかる。これくらいやると、
        (全体の量:50)÷(1分あたりの量:x)=(かかる時間:y)
        という様子がだんだんわかってくる。普段やっていることを抽象化していく作業は、<具体的な>ところからはじめて、そこに潜んでいる<性質>や<構造>だけを抽出していくことである。したがって、<具体的にやってみること>は、普段へ普段へと戻っていくことである。

        (2)で、根本的なところに戻っていくから具体性が失われると言ったが、今回のようなことをやる時は、具体性が失われる方向にはいかない。戻っていくにも戻り方があって、その戻り方のヴェリエーションをたくさんもっていることが、<具体的にやってみる>時には役に立つ。
        よく、問題を解こうとしたときの感想として「何をどうしていいのかわからなかった。」「全く手がでなかった。」というようなことを聞くが、この<具体的にやってみる>方向のヴァリエーションが少ないことによる状況である。
        <ひらめく>ためには「まず常識を疑ってみることが大事」という意見があると思うが、そこまで極端でなくとも、<疑い方を知っている>ことは必要になる。

        (つづく・数学科 山下翔)

        「わかる」と「出来る」(理科:山崎)

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          勉強においてよく言われることとして
          「『わかる』と『出来る』は違う。わかるだけではなくて出来るようになりなさい」
          というものがある。私もこの言葉を言われながら授業を受け勉強をしてきた人間であるし、この言葉自体に異議を唱えるつもりはさらさらない。


          しかし、実際には「わかっていないのにできてしまう」ということがある。偶然か勘の良さからか、或いは設問が浅い理解や勘違いでも正解にたどり着けてしまうからか、とにかくそういう状況は存在する。我々講師からすると困ったもので、問題が解けてしまうため本人は「わかる」を達成できていないことに気付けない。我々からするといろいろと隙が見えていることが多いのでだいたい気付くのだが、放っておくと本人にその危機感が無いのでなかなか改善しない。

          こういう事態を防ぐために、なにをすればよいか。簡単である。難しめの問題に取り組めばいい。特に高校レベルの物理や化学においては、十分な理解が出来ていれば応用問題や初見の問題に対応できないということはほぼない。出来ないのであれば、理解の程度が浅いということが殆どだ。高校レベルの話であっても、学問というのは意外なほど底が深い。

          今の時期の受験生にこのような深い理解を求めると、受験に間に合わないということになってしまうかもしれない。しかし二年生以下の諸君には出来るだけ深いところまで「わかる」という状態を作ってほしい。理想論かもしれないが、私にはそれだけの価値があるように思われるのだ。

          ひらめくということについて −25−

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            最近はずいぶん減ったが、物を集めるのが好きだった。ポケモンカード、裏紙、パンフレット、漫画本、学校で配布されるプリント、食器、紙ファイルの綴じ具(プラスチック製)などいろんなものを集めていた。完全に集めることが目的だったとまではいかないが、振り返ってみると、ほとんどそういうことだったのだろう。当時は「何かの役に立つかも」と思って、ありもしない需要にも少しだけ期待して集めていたが、今となっては何にも残っていない。

            中学生までは<裏紙>と<パンフレット>集めが主だった気がする。
            裏紙はサイズごとに分類して仮置き場に保管する。ある程度集まった頃合を見計らって100枚ごとに仕切り用の細い紙をはさみ、500枚ごとに包装していた。B4サイズのものをよく作っていたが、学年があがるにつれてA4の紙を配られることが増えてきたので、A5サイズも作るようになった。「ザラ紙」と「西洋紙(当時はそう呼ばれていた気がする)」があって、後者が真っ白でさらさらしていて、なんとなく上等な感じがしていた。実際、大事なことでない限り「ザラ紙」がたくさん使われていた。だから西洋史の束は貴重で、包装して結局使わずじまいだったものもある。
            よく旅行に連れていってもらっていたので、行く先々でパンフレットをもらってはクリアポケットファイルに挟み込んでいた。沖縄を除く九州・山口はかなり行ったので、観光地と呼ばれるようなところはことごとく制覇し、旅行のガイドブックのようなものになっていた。それもついには飽きてしまって、まとめて市の図書館に寄贈した。スタッフがぞろぞろと集まってきて拍手をしたので、すごく恥ずかしいような照れくさいような気持ちになったのが思い出される。

            高校生の頃は<学校で配布されるプリント>を集めた。
            ここまでくると、もう無駄の極みであるが、配られるプリントのほとんど全てをきちんとファイルに綴じた。文房具屋さんに行くとB4サイズの紙ファイルが売ってあって、「こんな大きなファイルがあるんだ」とすっかり魅了されて、これに綴じることにした。お便り系(学級通信、学校通信、保健室だより、進路だより、……など)やお知らせ系(教材費のお知らせ、学校行事のお知らせ、模試のお知らせ、……など)などいろんな種類があるが、こちらは分類したり整理したりせずに片っ端から綴じていった。結果、学年別に3冊ができた。ここで終わればいいのだが、何かに使うかもしれないと思って、高校を卒業してから4年以上も保管していた。これも、つい最近になってから捨てた。時々読み返して面白かったり、懐かしかったりする以外、特に役に立たなかった。

            大学生の頃は<食器>を集めた。
            コンビニでサンドイッチなどを買ってシールを集める。それで規定のポイント分集まると、皿やマグカップと交換できるというキャンペーンを利用した。ゼリーとマグカップがセットになって売られる、というのが流行ったが、それも利用した。来客があったらと思って集めたわけだが、食器だけあっても仕方がないと思って、(足りないと思った)グラスや箸、スプーン、フォークなども揃えた。しかし、そもそも来客がこないようなところに家を借りていたので、そうそう活躍する機会もなく、この<食器>集めも終わった。

            ほとんど何の役にも立たなかった<収集>であったが、こうして振り返ってみて、そういう習慣があることがわかったのは一つの収穫である。これで何かを捨てられずにいるときや、何かを買おうとするときに一度立ち止まることができる。<収集>が目的になってはいないか、と。

            家(部屋)の中や机の上は、自分の頭の中を表すとよく言われる。部屋が散らかっていれば、自分の頭の中も散らかっている、ごちゃごちゃしている、という風に。<ひらめく>ために<具体的にやってみること>は、頭の中をぐちゃぐちゃにする作業である。<ひらめく>ためにあれこれやってみて、読んでみて、聞いてみて、話してみて、そういうことをやっておいて、情報をどんどん自分の中に詰め込んでいく。そうしてその圧迫感から解放されたとき、ぽん、と考えが降りてくる。これが<ひらめき>である。

            部屋がきれいになって何か良い考えが浮かんできたのなら、<収集>も悪くない。しかし何も部屋を物でいっぱいにする必要はない。頭の中に入れておく、ノートに書いておくくらいでいいだろう。これで<収集>の習慣にもピリオドを打ちたい。

            (つづく・数学科 山下翔)


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